MINAMATA
写真家・石川武志氏 (2012年 Nikon銀座サロンにて)
ユージン・スミス氏と奥様アイリーン・美緒子・スミスさんが1971年に水俣を撮影する際に唯一のアシスタントとして同行したのが石川氏です。 私に当時の話しをしてくれていた最中にアイリーンさんから祝花が届きました。石川氏はアイリーンさんからの花を手に「せっかくだからユージンの肖像の前で撮りましょう」とこの場に立ってくれました。
石川氏はユージンから「忘れ物を東京駅に届けて欲しい」 と依頼され発車待ちの列車にいたユージンに荷を渡すと 「おまえも行くのだ」と羽交い締めにされました。 抵抗している間に列車のドアが閉まり無理矢理水俣まで 連れて行かれました。
当時の写真家の徒弟制度は厳しく、アシスタントに同一題材を撮らせることはあり得ない時代でした。ある朝目覚めると枕元に20本のフィルムが置いてあるのでユージンにその理由を尋ねると「お前も撮るのだ」と言いいます。それ以来ユージンとアイリーンの手伝いをしない日は自分のカメラで水俣を撮りました。 しかしユージンが離日すると、やはりこの題材はユージンのものだと思い永い間発表することはありませんでした。
あれから40年の時が経ち自分の写真として発表する機会を得ました。 (2012年10月24日から11月6日『「MINAMATA NOTE 1971~2012 」私とユージン・スミスと水俣』)
これを書いている私もこの時から9年が経過しているなと時の流れの早さに改めて驚きました。
嗚呼上野駅
来る人もいれば去る人もいる。
上野駅の中央改札口で利用客を見守る猪熊弦一郎の壁画『自由』。終戦僅か6年後の昭和26年に設置されました。 「金の卵」といわれ集団就職で上京した15歳の少年少女を見守っていた事と思います。 金の卵世代も既に後期高齢者。我が国の礎をつくり平和な国にしてくれたのも、公私混同私利私欲の政治家を当選させて腐敗政治を容認したのも金の卵世代。
今も昔も上野駅は北国の人々にとって特別な駅です。
Camera: Leica M Monochrome(Typ246)
Lens: SUMMICRON 35mm f2 (8elements 1965)
Support: Hand-held
Flash: No
ゆっくりお休みなさい
今日は両親の法要。 2020年11月に母が逝き、三か月後の2021年2月に父が逝きました。3ヶ月間で2回も喪主になるとは夢にも思いませんでした。 両親は介護度の違いから最後の3年間は別々の施設でした。いずれ介護度が一緒になるだろうからその時が来たら同じ施設に入居させてあげるね、と二人を励ましていましたがその約束を果たせなかったことが心残りです。 今日両親を納骨したので一緒にしてあげられたと安堵しています。 写真を撮るのが好きだった母の供養のためにPOST。