薔薇

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上野にて

印刷店のJ文字と薔薇が同じ色で目に留まりました。 薔薇と聞いて私が思い浮かぶのは「薔薇刑」。三島由紀夫細江英公が撮影したその内容は今もって理解不能ですが、凡人が理解できないものが芸術であるとすれば「薔薇刑」は立派な芸術作品なのだと思います。

 

Camera: Leica SL2-S

Lens: LUMIX S 20-60mm f3.5-5.6 (S-R2060)

Support: Hand-held

Flash: No

浅草

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浅草にて ローライ35をメンテ中のハヤタ・カメラの早田社長。ウデもさることながら細かい部品の仕分管理がスゴイ。 (撮影及びweb掲載了承済み)

Camera: Leica SL2-S

Lens: Leica NOCTILUX-M 50mm f0.95 ASPH. "King of the Night" 

Support: Hand-held

Flash: No

 

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Leicaレンズを店内撮影させていただきました。等倍でご覧いただき購入の参考にどうぞ。 f0.95開放撮影なのでボケているプライスカードの方が多いですが(撮影及びweb掲載了承済み)

Camera: Leica SL2-S

Lens: Leica NOCTILUX-M 50mm f0.95 ASPH. "King of the Night" 

Support: Hand-held

Flash: No

 

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浅草寺にて

Camera: Leica SL2-S

Lens: Leica NOCTILUX-M 50mm f0.95 ASPH.

Support: Hand-held

Flash: No

 

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創業明治28年ずいぶん前にここで食べたことがあります。東京にはすき焼きの「今半」を名乗る会社が4社あるそうです。

Camera: CONTAX T2

Film: Kodak GOLD 200

Support: Hand-held

Flash: No

Scanner: at shop 

*2015年期限切れフィルム使用

木更津・富津

写真仲間と撮影場所を検討しているうちに何故か木更津・富津に決まりました。

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木更津といえば潮干狩り。東京湾を挟んだ向こうには横浜ベイブリッジランドマークタワーが見えました。

 

Camera: Nikon D800E
Lens: AF-S VR NIKKOR 28-300mm f/3.5-5.6G ED
Support: Hand-held
Flash: No

 

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羽田空港へ向かう旅客機

 

Camera: Leica M-E(Typ240)

Lens: Summicron 35mm f2 (8elements 1965)

Support: Hand-held

Flash: No

 

 

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きっと幼いころからの夢を叶えたのだと思います。おじさんの勝手な想像ですが。

 

Camera: Leica M-E(Typ240)

Lens: Summicron 35mm f2 (8elements 1965)

Support: Hand-held

Flash: No

MINAMATA

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写真家・石川武志氏 (2012年 Nikon銀座サロンにて)

ユージン・スミス氏と奥様アイリーン・美緒子・スミスさんが1971年に水俣を撮影する際に唯一のアシスタントとして同行したのが石川氏です。 私に当時の話しをしてくれていた最中にアイリーンさんから祝花が届きました。石川氏はアイリーンさんからの花を手に「せっかくだからユージンの肖像の前で撮りましょう」とこの場に立ってくれました。

石川氏はユージンから「忘れ物を東京駅に届けて欲しい」 と依頼され発車待ちの列車にいたユージンに荷を渡すと 「おまえも行くのだ」と羽交い締めにされました。 抵抗している間に列車のドアが閉まり無理矢理水俣まで 連れて行かれました。

当時の写真家の徒弟制度は厳しく、アシスタントに同一題材を撮らせることはあり得ない時代でした。ある朝目覚めると枕元に20本のフィルムが置いてあるのでユージンにその理由を尋ねると「お前も撮るのだ」と言いいます。それ以来ユージンとアイリーンの手伝いをしない日は自分のカメラで水俣を撮りました。 しかしユージンが離日すると、やはりこの題材はユージンのものだと思い永い間発表することはありませんでした。

あれから40年の時が経ち自分の写真として発表する機会を得ました。 (2012年10月24日から11月6日『「MINAMATA NOTE 1971~2012 」私とユージン・スミス水俣』)

 

これを書いている私もこの時から9年が経過しているなと時の流れの早さに改めて驚きました。

 

嗚呼上野駅

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来る人もいれば去る人もいる。

上野駅の中央改札口で利用客を見守る猪熊弦一郎の壁画『自由』。終戦僅か6年後の昭和26年に設置されました。 「金の卵」といわれ集団就職で上京した15歳の少年少女を見守っていた事と思います。 金の卵世代も既に後期高齢者。我が国の礎をつくり平和な国にしてくれたのも、公私混同私利私欲の政治家を当選させて腐敗政治を容認したのも金の卵世代。

今も昔も上野駅は北国の人々にとって特別な駅です。

 

Camera: Leica M Monochrome(Typ246)

Lens: SUMMICRON 35mm f2 (8elements 1965)

Support: Hand-held

Flash: No