ボウイ追悼 一周忌


1977年 鋤田正義氏撮影 コンタクトシート

『天才デヴィッド・ボウイの素顔を知る男──鋤田正義が語るリアルなボウイ』
僕はロンドンのミュージシャンに、写真を撮らせてくれ、と申し込むのにあたって、自分のポートフォリオ(作品集)を持参しました。マーク・ボラン、そしてボウイに見せたのも、当時若者向けのファッションブランドとして、VAN、JUNに次いで人気のあったJAZZのために撮り下ろした広告写真でした。

JAZZは東京だと「三峰」や「TAKA-Q」といったショップで扱ってもらっていたブランドで、VANが米国、JUNが英国という方向性を打ち出していたのに対して、フランスっぽいイメージを特徴としていました。僕は写真学校時代に友だちになった新進気鋭のアートディレクター、宮原鉄生と組んでカラスを使った広告シリーズをJAZZ向けに撮ったんです。いま考えると、広告にカラスを使うなんてタブーもいいところですが、ムサシという本社がとても寛容だったんですね。

僕はボウイのことを、当時ロンドンに行くと泊まることにしていたポートベローホテルで、レセプショニストのバイトをやっていた学生から聞きました。彼はなんと化粧していたし、ラジオで聴いていたジョン・ピールの番組がおもしろいから聴くといいよ、と僕にも勧めてくれるんですね。ボウイのコンサートのことも彼が教えてくれたので観に行きました。そのあとスタイリストの高橋靖子さんを通して、僕のJAZZの写真を見せたら、ボウイはシュルレアリスムのアートが好きだったんですね、共通のテイストを感じてくれたのか、すぐに撮影にオーケーが出ました。

最初の頃のボウイの写真は、僕は手が小さいので愛用していた小型のニコマートで、フィルムはモノクロがコダックのトライXで、カラーはエクタクロームISO感度は100でした。後の話ですが、「ヒーローズ」の時は、ハッセルブラッドを使って、印画紙はイルフォード。昔は、いわゆるバライタといわれる一般的な号数印画紙でしたが、イルフォードは(高階調フィルター)で焼く時にコントラストの調整が出来るので便利なので切り替えていました。事務所のトイレを暗室にして、自分で焼きました。

僕がボウイを撮る時に何を考えていたか。じつは、かっこいい写真が撮りたい、ということでした。僕のべースはメンズファッションの仕事だったので、マーク・ボランともボウイとも最初は男性モデルのように接しました。彼らは20代で僕は30代と、年齢差があったのも、対象を冷静にみて作品化していく助けになったと思います。

僕が写真を撮りたいと思ったきっかけは、マグナム・フォトスのメンバーだったデニス・ストックが撮影したジェームズ・ディーンの一連の写真です。ディーンとマーロン・ブランドは、高校時代の僕のアイドルだったんですが、ストックの写真はすばらしい。ナンバー入りのプリントは何枚も買いました。宝物です。僕も“自分のディーン”を見つけたいという気持ちがあったんでしょうか。

時代は、しかし、急速に変わっていて、自分の思い入れたっぷりの写真だけで通用しなくなってきたと感じていました。僕が大好きなロックミュージックの世界では、ヒプノシスという英国のスタジオが手がけたピンク・フロイド「アトムハートマザー(原子心母)」(70年発表)のカバーアートに強い衝撃を受けました。牛が大きく写っているだけなんです。これからの時代はアートディレクターの存在が重要だと、それを観て思いました。

ロックミュージシャンを撮るときも、たんなるポートレートや思い入れたっぷりのスナップでなく、メディアとして成立させられるか、彼らが表現したいことと僕の写真はつながるのか、それを意識していました。

のちに「ヒーローズ」(77年)のジャケットに使われたポートレートは、東京の原宿スタジオで、たった1時間で撮影しました。そのときはイギー・ポップも一緒にいて、彼のポートレートも撮ってほしい、ただし短い時間で、と頼まれていたんです。イギーの写真は彼のアルバム「イディオット」(77年)に使われました。

ボウイの撮影はおもしろかったですね。テーブルについているのですが、ヘアメイクが整えた髪をわざとぐしゃぐしゃにしたり、タバコなど吸ったり、イギーとふざけたり。あの雰囲気がよかったんだと思います。

ボウイが革ジャンをヤッコさんに頼んだのを聞いて、僕は当時ロンドンでパンクスの撮影をしていたので、瞬間的に、ボウイはパンクスたちに、自分からのメッセージを送りたいんだなと思いました。革ジャンはパンクの制服ですから。

「ヒーローズ」の写真は、カメラ1台で撮っています。マガジンをつけて撮れるコマ数は多くしていますが、でも、写真を撮るのはサッカーと似ていると思っています。押し続けていればいいというものではない。かといって、待っていては、いい瞬間に間に合わない。サッカー選手がボールの飛んでくる位置を予測して動くように、僕も次の瞬間を考えながらシャッターを押していました。

僕は写真を撮るとき、観察するようにしています。とくにモデルでなく、ミュージシャン、アーティスト、作家といった人たちは、つねにメッセージを抱えています。明確に意識していないかもしれませんが、自分自身がメディアだと思っている、と僕は思っています。ボウイはそのとき、撮影の指示をなにもしませんでしたが、僕はパンクという新しい若者たちの存在をその背後に観ながら、ボウイを撮影しました。
(GQ  2016-02-12 web より http://gqjapan.jp/culture/bma/20160211/masayoshi-sukita-on-david-bowie-01/page/3


死の2日前、ボウイの誕生日に公開された最後のオフィシャルフォト。説明文には「Why is this man so happy?」(なぜこの男はこんなにも幸せそうなのか?)とある。着用したスーツはトム ブラウンだった。(写真は公式サイトより)