下山ですか、、、


五木寛之著「下山の思想」。図書館で半年前に予約をしたところ25週待ちということでようやく読むことが出来た本ですが残念ながら25週も待って読む程の内容ではありませんでした。
確かに今の日本は山の頂に登り切ってしまいました。そこで著者は法然が仏教史にもたらした変革と変遷などを例に引き新たな変革を訴えています。
しかし現在働き盛りの我々やその子供達の世代に「下山」の思想は迷惑です。下山せざるを得ないことは誰の目にも明らかなのですが著者の人生とダブらせた当著のような回顧録では下山ルートや次の山への尾根が一向に見えてきません。
今後、当著のような内容の本は年齢限定販売が望ましいでしょう。アマゾンの中古では定価の10%にあたる70円で出品されいましたが妥当な価格です。
また、この本に対する書評の多くは同調的・賛同的なものばかりですが批評者の現状に対する甘さや思慮の浅さも同時に露呈していると言えるでしょう。


 ポジティブな表現も加筆してみました。ポジティブに書くと毒にも薬にもならない書評のようになりました。もしかしたら私でも「評論家」になれるのかもしれません(笑)。

五木寛之著「下山の思想」。図書館で半年前に予約をしたところ25週待ちということでようやく読むことが出来た本です。
戦後の日本は山頂を目指してきました。そして見事に頂上に到達しました。しかし頂に到達した者は下山する宿命を持っています。なぜなら次の新たな山を目指すためにそこから一度下山して次の山へ登攀するための準備をしなければならないからです。
私達の戦後65年間はまさに企業戦士などという言葉に代表されるような猛進するだけの時代でした。しかし改めて振り返れば山頂に到達するまでいったい幾人の同胞が滑落し雪崩に飲み込まれ命を落としていったのでしょう。その様な犠牲を払った上に今日の豊かな生活が成り立っている事を私たちは忘れてはなりません。次の頂を目指すときにはその様な犠牲を伴わない方法で登ることが望まれます。
筆者は下山の思想を分かりやすく説明するため法然やその弟子親鸞が仏教史にもたらした変革と変遷を引用しています。身を切るような修行を成し得なければ極楽浄土へ行くことが出来ないとされていた当時の教えを根底から否定し全ての者が極楽浄土へ行ける方法を説き続ける彼ら。邪道とされた彼らの理想はいつしか普遍的なものとなり今もなお人々を救う思想として現代に生き続けています。
私達も一度下山してみることにより新たな理想を発見できるでしょう。下山して再び別の山を目指し成功する。それを後世に伝える事が今を生きる私達の使命なのです。