ここはひとつ


南ベトナム解法民族戦線の兵士探索のため、ベトナムのヘリコプターを率いて稲田に走り出す米陸軍司令官ジェラルド・キルバーン
1963年10月2日/ベトナムメコンデルタ ラリー・バローズ撮影

拡大して見ると常人の目ではないと私には感じられます。
ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」の歌詞に「キル・ザ・イエローマンと教えられた」という一節があります。彼らの使命はベトコン狩りですから軍人としては当然ですし戦争とはそういうものです。
次の政権に意欲満々の方は今の自衛隊では満足せず自説による解釈で違うものを組織するつもりだそうです。突然辞められた御大も自衛隊に満足していません。
自国のためであれば徴兵制度もやむなしと考えているのでしょう。しかし次をお考えの方も御大もそして私も年齢的に徴用されることはありません。
ここはひとつ投票可能年齢を18歳に引き下げてその可能性のある当事者達に判断させてはいかがでしょう。
「国の将来は年長者が決めるべし」とは憲法には書かれていないのですから。

ラリー・バローズ(1926〜1971)
写真に納まっている彼は2台のライカと3台のニコンを持っています。現行のライカM9ニコンD4に置き換えて計算してみると5台で300万円になります。レンズやモータードライブの金額は別ですし予備のボディも数台持っていたでしょうから投資金額はかなり大きかったでしょう。彼はロバート・キャパ賞を3度受賞するほどのカメラマンですからフィルムや現像のランニングコストも相当であったと思います。戦場カメラマンがどの程度の機材を保有するのか私には分かりませんが有名になればリターンが大きい職業であったことが窺えます。しかしそれは極々稀な事でしょう。